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【サーフィン】酒井仙太郎選手のインタビュー記事を公開しました

親子で歩む「世界中でカッコいいと言われるサーファー」への夢

 

 

天才小学生サーファー・酒井仙太郎。20187月に開催された「NSA千葉チャンピオンシップ」で優勝を果たすなど、現在注目のサーファー・仙太郎くんですが、その陰には、活躍を支えるお父さんの存在がありました。お父さんがどのようなサポートを行い、「世界で活躍するサーファー」という夢へ向かって、2人でどう歩んでいるのでしょうか。お話を伺いました。

 


 

唯一夢中になれたサーフィン。初出場の大会で3位に。

 

 

――サーフィンを始めたきっかけは何ですか?

 

仙太郎くん:湘南に引っ越してきた小学校2年生のときです。お父さんがサーフィンをやっていたわけではなかったので、家族みんなで楽しむ遊びとしてサーフィンを始めました。

 

お父さん:最初から、サーフィンは仙太郎の中では特別だったと思います。

サーフィンをはじめる前は体操教室に通っていて、遊びでサッカーや野球をやってたんですけど、興味を全く示さなくて。

でもサーフィンはハマるものがあったのか、一度行ってから「また連れて行って」と言うので、それから毎日のように海へ行くようになりました。

 

――サーフィンのどんなところが楽しいですか?

 

仙太郎くん:波に乗れたとき、技を決められたとき、そして、試合に勝てたときです。

その瞬間はすごく気持ちいい。辛いこともあります。練習では、疲れるし、汗もかく。でも練習しないと上手くなれないからやります。大会で勝ちたい。

 

――勝ち気が強いですね。はじめて大会に出たはいつ出たんですか?

 

仙太郎くんサーフィンを初めて1年後くらいです。友達がその大会に出ると言うので、僕も一緒に出ることにしました。ルールもわからなくて、すごく緊張しました。

 

お父さん:でも結果的には、3位になれたんです。

 

仙太郎くん:思ったより波に上手く乗れたし、楽しかったですね。大会にどんどん出たいと思いました。

 

お父さん:大会に出たことで彼に火がつきました。今まで遊びでサーフィンをやっていたのが、それ以降本気で練習するようになりましたね。

ただ、私もサーフィンに詳しいわけではないので、大会も手探りで探していて。最初はサーフショップの人に聞いて、近所の祭りや、イベントのような大会に出場していました。そして仙太郎が小学校5年生になったときにアマチュア団体の存在を知り、そこへ加入することになって。

 

仙太郎くん:団体では大会の数も多くて、頻繁に出場するようになりました。

 


 

親子でDVDを見て研究。二人三脚でつかんだチャンピオンシップ優勝。

 

 

 

 

――練習はどのくらい行っていますか?

 

仙太郎くん:毎日やっています。学校が終わった後、16時から18時の間です。日が出ている時間帯にやるので夏なら19時くらいまで練習します。あとは波の状況によって決めていますね。週に1〜2回は波が悪くて練習できないので、そこで休息を取っています。

 

――練習メニューはどうやって決めるんですか?

 

仙太郎くん:メニューは特になくて、試行錯誤しながら波に乗っています。

ただ練習日誌は毎回必ずつけていて。練習を始める前に「今の課題」を、練習が終わってから「復習・まとめ」を日誌に書いています。

 

お父さん:練習をしているときは、彼が波に乗っているのを動画で撮っています。自分が演技している姿は見えないですから。

家に帰ってから動画を一緒に見ます。DVDで見るプロサーファーのライディングと見比べて、「もっとこうしたほうがいいんじゃないか」と話し合っていますね。

サーフィンをやっている子どもの親は9割以上サーフィン経験者ですが、僕は初心者なので、仙太郎と相談しながら練習しています。

 

――経験者に教えてもらう機会もあるんですか?

 

お父さん:時間が合えばサーフショップの店員さんに教えてもらいます。

あと仙太郎が夏休みや冬休みの期間に2週間、インドネシアのバリ島で行われる「サーフキャンプ」という長期合宿に1人で参加してもらっています。5回は行っていますね。

僕はついていきませんが、全国から子ども達が集まるので、現地で彼らと合流して一緒にがんばってもらいます。

 

仙太郎くん:バリ島はパワー(波の勢い)が強くて、波の感覚が全然違う。あと同世代の子と練習するのはすごい刺激になりました。

ある子がいい波に乗ったら、僕もがんばらなきゃと思わされます。

 

――遠征にもたくさん行っているんですよね。

 

お父さん:そうですね。去年は大会に10回出場しました。今年は大会数が増えて、すでに10大会出場して、(出場する大会があと)4大会残っています。南は宮崎県、北は福島県まで。泊まりがけで行っています。そうして大会や合宿で全国に遠征するので、各地の波に乗りながら、その土地土地で友達ができます。小さい頃からそういう経験ができて、仙太郎が羨ましいです(笑)。

 

――すごい貴重な経験ですよね。今まで一番印象に残っている大会は何ですか?

 

仙太郎くん:印象に残っているのは2018年7月に開催されたNSA千葉チャンピオンシップです。この大会で初めて優勝できました。すごい嬉しかった。

 

お父さん:優勝はずっと目指していたので、親としても感動しまたね。

 

仙太郎くん:この優勝で自信がつきました。次も優勝するためには練習をがんばらなきゃと思います。

 


 

夢は、世界中でカッコいいいと言われるサーファーになること。

 

 

――仙太郎くんとの接し方で気をつけていることは何ですか?

 

お父さん:本人の意思を尊重することですね。親から「サーフィンをやりなさい!」と言わないことは心がけています。

 

――そのスタンスは素敵ですね。「子どもに夢を託す」と思うあまり、結果的にスポーツが親御さんからの「押しつけ」になってしまうケースも少なくないかと思います。

 

お父さん:サーフィンは私も初心者でした。自分が経験したスポーツだったら、細かく教えたいし、強制でもやらせたいと思っていたかもしれない。でも何も知らないからこそ、家族みんなでゼロから勉強して、一緒に試行錯誤して、一緒に練習して。

その結果、今のような関係性が生まれたんじゃないかと。ただ、始めたからには中途半端に終わらず、やれる限りはやってほしいという親心もあります。

 

仙太郎くん:体操や野球、サッカーをやっても、ぜんぜん楽しいと思いませんでした。でもサーフィンは本当に楽しいし、自分でもがんばれていると思います。

試合に勝ちたいから、これからもがんばりたい。

 

――サーフィンに一生懸命になる仙太郎くんの姿を見ていかがですか?

 

お父さん:がんばっている姿を見ると、単純にカッコいいと思います。試合に勝って喜んで、負けて悔しくてがんばって。

その繰り返しで、努力している姿をみているので、一人の人間としてカッコいいですよね。

 

 

――サーフィンでの夢を教えてください。

 

仙太郎くん:世界のトップレベルで戦える選手になりたい。オリンピックにも出場したいです。そして世界中でカッコいいと言われるサーファーになりたいです。

 

――ありがとうございます。最後に、DR.SENOBIRU(ドクターセノビル)を飲み始めたきっかけを教えてもらえますか?

 

お父さん:学校の保健の先生に「身長の伸びが遅い」と言われていたこともあり、以前から身長が伸びないことは懸念していました。

また、アスリートにとって体を強くすることは重要。背が伸び、体が大きくなることで結果につながれば良いと思い、2018年の1月頃からドクターセノビルを飲み始めました。

 

――DR.SENOBIRU(ドクターセノビル)を飲んでから体に変化があればお聞かせください。

 

仙太郎くん:セノビルを飲む前は朝が弱かったんですけど、すぐに起きれるようになったかな。疲れが取れやすくなったと思います。

 

お父さん:この前測ったら身長が2〜3cm伸びていました。いつもより速いペースで伸びているので、継続して飲みつづけたいですね。仙太郎の夢に向かい、親子ともども歩んでいきたいと思います。

 


 

取材後記

 

仙太郎くんとお父さん、2人は固い信頼関係で結ばれていると感じました。お父さんは仙太郎くんの意思を尊重し、仙太郎くんは「お父さんのサポートにいつも感謝している」と語ってくれました。世界で活躍できるアスリートは一握りであっても、彼らが二人三脚で進んでいる限り、その道は明るいはずです。

 

 

プロフィール 

酒井仙太郎(さかい・せんたろう)

2006年1027日、神奈川県出身。日本サーフィン連盟(NSA)キッズランキング5位(2018年10月現在)。20187月開催の「NSA千葉チャンピオンシップ」で優勝を果たした。
オリンピック出場、世界で活躍するサーファーを目指し、お父さんと二人三脚で進んでいる。

 

【関連リンク】

酒井 仙太郎選手丨チームセノビル

https://senobiru.com/sponsor/team-senobiru/sentaro-sakai/

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