MENUCLOSE

ニュースNEWS

       

【バドミントン】浪岡ジュニア所属・奈良岡功大選手のインタビュー記事を公開しました

誰からも応援される選手へ。勝利への強い気持ちで頂点めざす

 

 

現在国内で最も注目を集めるジュニアバドミントンプレーヤー、奈良岡功大選手。201810月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたユースオリンピックでは、見事銅メダルに輝きました。アルゼンチンから帰国直後の奈良岡選手と、奈良岡選手を父として、コーチとして支える浩さんのお二人に、大会を通して感じたこと、バドミントンとの出会い、そして普段の生活でのエピソードなどを伺ってきました。

※(2020/06/01追記)本取材は、奈良岡功大選手がチームセノビルに加入する以前の2018年10月に行いました。

 


 

嬉しさと悔しさを胸に、見つめるのはすでに次の舞台

 

 

――8月のインターハイ、そしてユースオリンピックを振り返って率直な感想を教えてください。

 

功大選手:どちらも1位、金メダルを狙っていきました。でも両方3位に終わったのは純粋に悔しいです。ユースオリンピックでは準決勝で負けてしまい、3位決定戦で勝たなければメダルに届かないという状況だったので、勝てた瞬間は正直ほっとした気持ちと嬉しさがこみあげました。

 

浩さん:私も準決勝で負けた瞬間は悔しい気持ちでいっぱいでした。しかし実感したのは、オリンピックというのは雰囲気も何もかも、他の大会とは違うということ。そんなプレッシャーの中で、本人もものすごく頑張っていることを感じました。

 

――今回成長を感じた部分と反省点、そして次の目標は何ですか?

 

浩さん:実は、インターハイは足にアクシデントを抱えての出場だったんです。ですが本人に出場したいという強い意志があったのと、チームメイトが支え合って頑張っていた様子を見て、状態を見ながら試合に出しました。

本人は気づいていないと思いますが、バドミントンを愛する気持ちをプレーで表現してくれていました。そこが何よりの成果だと思います。

 

功大選手:今回のように故障があると本来のパフォーマンスが出せないので、そういった面に特に気をつけながらベストなコンディションで試合に臨むのが今の課題です。次の世界ジュニア大会では、ユースオリンピックで取れなかった金メダルを取りたいです。

 


 

5歳で始めたバドミントン 父と一緒にいる時間のために

 

 

――バドミントンを始めたきっかけはなんですか?

 

浩さん:功大が5歳のときのことです。私が高校生やジュニアに教えていたので、あまり功大と遊ぶ時間がなかったんです。それにヤキモチを焼いて、功大もクラブに入ってきたっていうのがきっかけでした。

 

功大選手:僕は覚えてないです(笑)。

 

浩さん:「クラブでは親じゃなくコーチだから優しくできないぞ」って言ったんですけどね。それでも来るって言うので、最初はひたすら素振りをさせました。なのに楽しそうにやるんですよね。3000回の素振りを続けてやれたのには驚きました。

 

功大選手:うーん…それも覚えてないです(笑)。

 

――家ではどのように過ごしていますか?

 

浩さん:ゲーム機のニンテンドーDSを買ってあげたんですけどね、全然やらないんですよ。

 

功大選手:ひたすら部屋で壁打ちしてました。そしたら壁に穴が空いちゃって。最初は隠していたんですが、2個目の穴が空いたときにはさすがにヤバイと思って言いました。

 

浩さん:それを見たときは「ここまでやったか」と少し嬉しくなりましたね。本人は怒られると思ってたみたいですけど。今はもっと補強したのでもう空かないはずです(笑)。

 

――バドミントンの楽しさはどういったところにありますか?

 

功大選手:勝ちたい試合で勝てたときが一番楽しいですね。一番印象に残っている大会は、小学校3年生のときに出た全国ABC大会なんですが、このときの練習が一番きつく感じました。でも、練習を積み重ねた結果、優勝できたのがすごく嬉しかったんです。今では練習をきついと思うことはなくて、すごく大切にしています。勝ちたいという気持ちが強ければ強いほど、練習への気持ちの入り方も変わってきます。

 

――将来はどのような選手になりたいですか?

 

功大選手:アテネオリンピックで金メダルを取った、インドネシアのタウフィック・ヒダヤット選手が目標です。すごくかっこいい選手だったのであこがれています。

 

浩さん:そのヒダヤット選手と、小学校1年生のときに打ち合う機会があったんですよ。そのときからバドミントンへの姿勢が変わって。「あの選手に勝ちたい」ってインタビューに答えたこともあります。彼の引退セレモニーを日本でやったときには、功大が花束を渡しました。

 

功大選手:引退しても、今でも変わらず目標です。ヒダヤット選手のように、常に勝ってみんなから応援される選手になりたいです。

 


子どもの可能性を信じて、できるところまで全力でサポート

 

 

――お父さんは監督・コーチとして、父としてどのように接していますか?

 

浩さん:親ですから、全力で応援しながら気持ちの面で支えていきたいと思っています。ぶつかることもありましたけどね。ただ、コーチという立場で接する時は、「選手とコーチは対等」というのを心がけています。プレーや技術に関しては対等な立場で話さないと上達しないと思うんですよね。

そして私も逆に、選手たちから育ててもらってコーチングが上達したことを実感しています。功大に対してはどこまで指導者として関われるかわかりませんが、親として全力で応援していくことは変わりません。

 

――お子様にバドミントンをさせている親御さんへ一言お願いします。

 

浩さん:「誰にでも可能性がある」ということを伝えたいです。これは絶対です。功大も、走るのも遅いし飛べないし、最初はシャトルにラケットが当たらなかったんですから。そこから何かを見出すのは指導者の役割。親御さん方には、良い指導者を選んだり、活動をする環境を整えるという点に努めていただきたいです。

 

――ではお二人から、「ドクターセノビル」について率直な感想を聞かせてください。

 

功大選手:3ヶ月ほど飲んでみて、まず感じているのはすごく飲みやすいということです。これならジュース感覚で飲めてずっと続けられると思います。

 

浩さん:過去にほかのサプリメントも試したんですが、続かなかったんですよね。サプリメントっていうのは即効性があるものではないけど、だからこそ続けられるものじゃないと全く意味がないんですよ。

 

功大選手:パインとグレープフルーツの味どっちもおいしくて飲んでます。ほかの味も出たら飲んでみたいです。

 

浩さん:それに加えて「安心」というのがありますね。国際アンチ・ドーピング認証プログラム「インフォームドチョイス」の検査に通っているという点です。ドーピングだけはどこに行っても必ずついてくる問題。普段は風邪薬も飲まないようにして気をつけているくらいですから、この「安心」はとても大きいです。

 

取材後記

勝ちたいという気持ちを大切に練習に励み、自分を高めていく奈良岡功大選手。父とコーチ、そして監督という立場で功大選手を支え続ける浩さんも、功大選手やほかの選手たちと一緒に成長を続けているそうです。二人三脚で、いつか憧れの選手を超える日がきっと来るはずです。今後も奈良岡功大選手の活躍から目が離せません。

 


 

プロフィール 

奈良岡功大(ならおか・こうだい)

2001年630日生まれ、青森県出身。5歳から父・浩さんが指導する「浪岡ジュニアバドミントンクラブ」でバドミントンを始める。全国小学生ABC大会5連覇、全中3連覇、全日本ジュニア最年少優勝などの経歴を持ち、高校生で唯一国内ランキング20位以内に入る。2018ユース五輪では銅メダルを獲得し、世界からも注目を浴びている。

 

奈良岡 浩(ならおか ひろし)
浪岡ジュニアバドミントンクラブ監督。青森県出身。弘前工業高校、東奥学園高校で約10年間コーチングを学び、2002年浪岡ジュニアバドミントンクラブを設立。現在、同地区・浪岡中学校バドミントン部の指導にもあたる。自身が監修した独自の小中学生向けバドミントン練習プログラムも公開されている。

 

PAGETOP